【史跡】久松五勇士に行ってみた!

【史跡】久松五勇士に行ってみた!

こんにちは!宮古島に移住した宮古猫です。

宮古島で「久松五勇士」という言葉を聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか?

宮古島のお土産としても定番化している久松五勇士ですが、宮古島に実在した5人の男たちのことなのです。


最初は言い伝えかと思っていましたが、実際に久松五勇士の子孫という人もいて驚いたのを覚えています。

今回は宮古島の英雄として語り継がれる久松五勇士について紹介します!


久松五勇士って?

久松五勇士は、敵艦隊の通過を軍令部に知らせるため、石垣島までサバニ(手漕ぎの小舟)で行った久松集落の5人の男たちです。

日露戦争中の1905年にロシアのバルチック艦隊が宮古島近海を通過していることを漁師から聞いた区長たちは、当時電信局があった石垣島まで確実に行ける若者5名を選出しました。

垣花 善  29歳(兄)
垣花 清  22歳(弟)
与那覇 蒲 25歳(兄)
与那覇 松 23歳(弟)
与那覇 蒲 21歳

この久松地区に住んでいた5名の若者(うち2組は兄弟)が後の久松五勇士です。
与那覇 蒲は2人いますが、同姓同名の別人です。


日本本土の軍令部に伝えられるのは信濃丸からの連絡の方が早かったので、久松五勇士からの情報が日本軍に影響を与えることは直接はなかったと言われています。

ただ、5人の勇気ある行動を称えて、宮古島では顕彰碑が建てられ、現代でも英雄として語り継がれています。


久松五勇士がたどり着いた石垣島には、「久松五勇士上陸之地」の石碑が建てられています。


他にも久松五勇士について歌った歌も作られ、久松地区の集会などで流されることもあります。


顕彰碑への行き方

久松五勇士顕彰碑は宮古空港から車で10分ほど、久松地区の海沿いに建てられています。


到着すると大きな石に「久松五勇士」の文字があり、その奥は森のようになっています。

左の階段、右の坂道のどちらからでも行けますが、登りやすい坂道のほうで。


坂を登るとさらに階段があり、その上に船のオブジェが見えます!

おお〜!これが顕彰碑か!


サバニ(小舟)の下の5本の柱が5人の勇士を現しているのでしょう。


裏側には5人の名前と解説が書かれています。
これによると顕彰碑が建てられたのは1966年8月11日

かなり古いものでした。


あまり訪れる人は多くない場所なので、歴史好きの旅行者や地元の子どもがときどきいるくらいで、基本的に静かな場所です。

顕彰碑がある場所は高台になっているので、久松漁港から出港する船を見ることができます。

久松五勇士はここから石垣島まで行ったと思うと、すごい気力と体力です!


周辺

久松五勇士の顕彰碑からすぐ海側に、もう1つ史跡があります。

久松の機関銃壕」と書かれており、ぽっかり地面に穴が空いています。


説明書きによると「中は立って歩けるほどの広さ」とのことですが、絶対に怖くて入れません…。

かつてはこの壕の西側は海岸線だったということなので、ここから海を見張っていたのでしょう。


久松漁港に隣接する公園には、トイレや東屋もあり、今でも集落の人たちがたくさん集まっています。


お土産

宮古島のお土産としても有名な久松五勇士
空港やスーパーでも売られているので、手に入りやすいお菓子です。

クリームの周りに黒糖風味のバームクーヘンを巻いたような、なんとも懐かしい味がします。

私も帰省のお土産はいつも久松五勇士を買っていますが、親戚の子どもからおばあちゃんまで好評です♪


ネット注文したい人は、こちらのサイトから久松五勇士のお菓子を購入できます◎

宮古空港インターネットショップ

島の駅みやこ通販


まとめ

久松五勇士についてまとめてみました〜!

顕彰碑を訪れて、宮古島にいた強い男たちを称えてみてはいかがでしょうか?

100年以上も前に手漕ぎの小舟で石垣島まで行ったと思うと、スゴ過ぎるの一言しか出てきません。
(言葉足らずですみません!)


お土産のお菓子もオススメです◎
お菓子の箱には久松五勇士について解説が書かれているので、土産話としてもぜひ!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!